先生全員紹介
先生全員紹介
校舎 吉祥寺本校
担当 スクールマネジメント事業部
出身地 ポーランド
趣味・特技 映画及び演劇鑑賞・世界文学・現代音楽・言語獲得・翻訳技法等
座右の銘 「原稿は燃えない」
私は、高校の一年生の頃、卒業したら日本語学科に入ろうと決心して、一生懸命に勉強していた学生でした。なぜならば、当時ポーランドの大学には、言語学科の中では日本語学科がもっとも倍率が高く、志望者数百人の中から20人しか入れないという状況だったからです。なお、単位制がなく学年制度ですから志望校に入れるか否かは、唯一期末試験次第でした。
幸いにも、2年生になってから、自分の専門科目を選択し、それらに集中できるようになっていました。自分の趣味を活かし、日本文学や古い映画作品に没頭し、谷崎潤一郎、夏目漱石、川端康成、芥川龍之介、黒澤明、小林正樹、大島渚、増村保造等に触れることもできました。16歳の頃、辞書や多言語知識豊富な父親の力を借りて、日本語の文章を初めて翻訳できました。「眠れぬ夜をいくつ数えたら俺たちたどり着くだろう」という氷室京介の歌詞でした。現在もその歌詞を聴くたびに、得も言われぬ懐かしさに抱かれます。
私は、長年日本人の方から大変お世話になっており、いただいた厚意をそのご本人には一生返そうにも返せないので、逆に先生として日本社会に貢献をし、こうやって自分で抱える多大な借りを返すとともに、学んできたことを後代に伝えようと決心しました。
実は、初めて日本へ訪れたのは、偶然にも3.11でした。初めての日本で、地震も初めての体験でした。丁度その一年後に、仙台へ旅をして、或るホステルに泊まったら、たまたま全国のボランティアが集まる雑魚寝の宿でした。当時、私もボランティアになって、次の日に早朝から指導の方に被災地まで車で連れていっていただき、瓦礫撤去やごみ分別をしたり、命を保たれた方と会話したりしました。時折、例えていうと「飛べない沈黙」に包まれました。その日々こそ、私の日本とのご縁が深まりました。それ以降偶然性を必然性にし、偶然と想像を働かせんがために、先生になったと言っても過言ではないと思います。
私は、常に「為せば成る」と強く思い、どうせ名門学校の入試が難しいから、無理だのと今を嘆くより、未来への意思を持っていた方が良いと強く思います。ざっくばらんに言えば、個人主義の支持者であり、ポーランドの大学で日本語教師として務めていた頃、生徒の動力及び個人の進歩に応じた最終成績をつけることもありました。
ブッキッシュな知識を持たせるというよりかは、生徒にはいつも周りの世界を垣間見させ、それぞれの言葉の指示対象を理解していただきたいと常に思っています。其れというのも、言葉にはいわゆる言霊が宿り、場合によっては一言によっては他人の人生を救うことができるからです。「原稿は燃えない」というスローガンを掲げ、及ばず乍ら言葉の力を皆さんに届けんと願わずにはいられないのです。
「求めよ、さらば与えられん。 尋ねよ、さらば見出さん。 門を叩け、さらば開かれん。 すべて求むる者は得、尋ぬる者は見出し、門を叩く者は開かるるなり」。貴方は、特別な存在ですから、自分ならではの特有の才能を生かし、決して宝の持ち腐れにならないように頑張っていっていただきたいです。千里の道も一歩から。